コム・ストーリーは、広告戦略・制作を通して、モノづくり企業の成功と成長をサポートします。

TOPに聴く

【TOPに聴くVol.1/前編】50台半ば、モヤモヤ人生にピリオドを打つ
-株式会社ダステック 吉田社長-

【コラム/TOPに聴く】-モノづくり企業 決断の時- シリーズ執筆にあたって

人は、これで食べていこうと生業を定める時、なぜその道を選ぶのだろう。 技術者は、何を拠り所に、その道を突き進んでいくのだろう。 モノづくり企業のトップは、技をビジネスにする時、どんな決断を迫られるのだろう…。

お聴ききしたいのは、
モノづくり世界に生きる経営トップやキーパーソンの、胸の底に疼く痛みと希望の話。
人生と同じように一つひとつ異なる企業の物語、TOPのドラマを記録・発信することで、共感し共有することの面白さを味わっていただければ、と願ってこのコラムを始めようと思う。
心が動くという体験こそが、豊かなコミュニケーションの原点だ!
と、だいそれた理想を掲げながら…。

2007年 師走の良き日に

コム・ストーリー代表 上田いち子

株式会社 ダステック

代表取締役社長 吉田 俊治(よしだ しゅんじ)


【企業プロフィール】
外周刃製造機(スライシングマシン)の開発・製造・販売会社。
2002年に、半導体精密切断用砥石で知られる株式会社ディスコから分社独立。
薄くデリケートなもの、厚みのあるもの、変形しているもの…、切断にかかわる、あらゆるお困りごとにお応えできる装置の開発に情熱を注ぐ!
〒335-0031 埼玉県戸田市美女木3-8-5
TEL 048-421-1113
http://www.dastech.co.jp/index.html
※コム・ストーリーでの制作実績/Webサイト・各種カタログ・ラベル


ラジオに魅せられた少年がたどり着いたのは、「物質の基」という世界

-モノづくりに目覚められたのは、やっぱりラジオからですか?-

技術者に取材すると、大抵の方が、子どもの頃にラジオを分解して組み立て直したという話を語り始める。今回は、いきなりここから入ってみた。
しばらく宙を見ていた吉田社長は、破顔一笑、
「それ、鉱石ラジオ! キットが売っててさぁ。ちゃんと音が聴こえた時は感動したなぁ。小3の時に、今のソニーがトランジスタ・ラジオを出したんだけどね…」


モノづくりに魅せられた人は、総じて豊かな子ども時代を過ごしているようだ。聴くほどに顔がほころび、目が輝いてくる。
熊本の海側、不知火海と有明海にはさまれた三角(みすみ)に生まれた吉田は、父親が商売そっちのけで夢中になっていた「自動車をバラバラにする」姿を見て育つ。
「オレ、生まれた時からモノを作るのが好きだったと思うんだよね」
の言葉通り、弓矢や竹トンボから本箱、木の上の隠れ家、ラジオ作りへと進み、理科クラブに入る。本が全く読めなくて国語も社会も最低だったけど、毎日が楽しくてしょうがなかったという理科少年に、やがて、決定的な影響を与える人物が現れる。


中学の理科教師、橋本先生は、ある日水が一杯入ったバケツを机の上に置き、こう言った。
「このバケツの水を半分にすると何が残る?」
「水…」
「じゃあ、それを更に半分にしたら? 更に、もっとどんどん半分にしていったら?」
永遠に残る、水の「分子」という存在。
吉田少年の脳裏に「物質の基」というもののイメージが鮮烈にインプットされる。
この時、湧き上がるように生まれた物質への興味は、やがて素子、半導体という具体的なテーマへ姿を変えながらも、今もずっと飽かずに続いている。


何を勉強するのかということに、これっぽっちの迷いもなかった。
選んだのは工学部電気学科ではあったが、関心は唯一つ。
半導体や金属など結晶の性質を研究する「固体物理学」。
直接の教官でもない先生の所に毎日通い、教えを請うた。
当時、半導体はまだまだ研究途上のテーマ。
「動作スピードが速くて小さい、世界で一番スゴイ半導体を生み出したい」
先生の理論に共感し、その結晶化に絶対成功してみせる。
その一心で、寝袋持参で実験に明け暮れ、学部で4年、院生として2年、更に1年。
見渡せば、同級生はみんな去っていた。さすがに食べていかねばとここで力尽き、後ろ髪をひかれながら、先生と後輩に託して卒業する。
※後日談:その後完成した結晶は、半導体ではなく半金属であった…。
 (理論上は同じ構造で、出来上がってみなければわからないとのこと)


失意の果てに巡り合った、「切断装置」の世界

大学時代、隣の研究室にいた教官の紹介で、アメリカの大手企業の技術を導入した高周波のコネクタを扱う会社に就職したものの、吉田青年の頭には半導体の影がちらついて離れない。
社内にあった英語クラブで優秀な日本人講師に会話を習えたことも影響し、1年半足らずでアメリカ留学へと旅立っていた。
英語を半年学んだ後、カンザス大学(KU)に入学。
ここで研究を重ね、更に半導体への想いは募る。
一生、結晶を作っていたい!
その夢をかなえるためには、テキサス・インスツルメント(TI)への就職しかないと思い定めていた。
帰国後、さっそくアプローチを開始した吉田青年に、TIからは「半導体のデザインなら」という打診があった。
が、どうしても結晶を作りたいと、頑なに拒む。
では面接を、ということになった。
ところが、ここで吉田、今も悔やまれてならない「大チョンボ」をしでかす。
半導体に関わった者なら、絶対間違えてはならない質問の答えを誤ってしまう。
わかっていたのに! 言ったと同時にしまったと思ったが、後の祭り。
試験官の「それは常識だろ」という冷たい言葉通り、採用通知は届かなかった。


ショックをひきずっていた吉田は、更にミスを犯す。
アメリカの大学での指導教官は、当時、「半導体3巨頭」と言われていた人物の助手であり、この世界で強い力を持っていた。
落ち込んでいる吉田に1枚の推薦状を書いてくれた。NEC宛てのものである。
だが、同社がパーソナルコンピュータで名を馳せる前の時代。
どうしてもTIと比較してしまい、気持ちが向かずに断ってしまう。
後に、推薦状を見返していて後悔することになる。
それは、NECの会長に直々に宛てたものであり、どんなスタートも望めたはずであった。


人生の歯車は、どこまでも違う道へと吉田を導く。
自力で就職する羽目になり、人材バンクへ登録する。
京セラに紹介してくれることになり、今度こそはと面接に赴く。
ところが、人材バンクの事務所に居合わせた別の企業の人事担当者K氏が、強引に割り込んでくる。
吉田の経歴を知り、
「君のようなインテリなら、ウチの仕事なんてお手のものだ。とにかく1回現場を見てみろ」
K氏は、とにかく口が上手かった。くすぐることを言うのである。
自分のミスとはいえ、傷付いていた吉田は、褒めそやすその言葉に乗ってしまう。
その企業こそ、砥石を使った精密加工装置メーカーとして世界に名だたるディスコであった。


半導体用切断機器と聞いても、当時の吉田には東京精密の名しか浮かんでこなかった。
だが、ディスコを訪れその装置を目の当たりにして驚くことになる。
半導体を美しく切るのは、至難の業のハズであった。だが、目の前のその装置は苦もなく、次々と切断していく。
すごい装置だと思った。
その気になってしまったとも言える。
半導体に関われるのであれば何でもいいんじゃない! と悪魔がささやいたとも言えるだろう。
吉田は、ディスコへの入社を決断する。
これが、思いもよらぬ現・ダスティック社長へと続く道の、そして、流転続きの人生の始めの一歩であった。


〈後編に続く〉

2007年11月03(土)