コム・ストーリーは、広告戦略・制作を通して、モノづくり企業の成功と成長をサポートします。

TOPに聴く

【TOPに聴くVol.3/前編】やりたいこと・やれることが結実して生まれた、
喜ばれる装置
-株式会社データ・テック 田野社長-

株式会社データ・テック
代表取締役社長 田野 通保(たの みちやす)氏


【企業プロフィール】
動態管理システム「セイフティレコーダ」及び、関連製品の開発・製造・販売会社。
手ぶれ防止用振動ジャイロセンサ(角速度を計測する)を使って、世界ではじめての『バーチャルリアリティ用小型3軸角度センサ』を生み出しました。
世界を平和で豊かにする方向の仕事をしていきたいと願い、ハイレベルな技術に対して常にチャレンジする集団です。

〒144-0052 東京都大田区蒲田4‐42‐12
TEL(03)5703-7041(代表)
http://www.datatec.co.jp/index.html


※コム・ストーリーでの制作実績/SRニュース(1~2カ月に1回発行のお客様向け情報誌)の取材・執筆からデザイン編集、印刷まで

物理頭でモノづくりを始める!


100メートルを10秒で走る力が、自分には無いということだ!


研究所で、ある金属の物性を究めようとしていた田野は、固体物理学においても才能がモノを言う、という事実に直面する。
子どもの頃から、勉強が好きで好きでしょうがなかった。
モノを追求していくと、自分が知らないことが次から次へ湧き出してくる。
それを知ることが、この上もなく楽しい。嬉しい。
大学院まで行って、それでも飽きたりず、学びたくて研究所に入り、学者への道を選んだ。


田野にとって研究所は勉強し続けられる場所であった。
しかし、そこで己の能力の限界を知る。初めての挫折である。
どんなに努力をしても、達成できぬものがあった。100mを10秒で駆け抜けたいと思っていてもできないはがゆさ。しかし周りを見渡せば、10秒どころか、9秒で駆け抜けられる人材が山ほどいた、という話である。
そんなわけで、研究所を辞めてしまう。


かと言って、「好きなことをやりたい」という気持ちは変わらない。
では、何が好きかと自身に問えば、
○考えること
○学ぶこと
○難しいことにチャレンジすること
これまでは頭の中でアレコレ組み立ててきたが、現実世界でのモノづくりも悪くない。
時代はどうやら電子頭脳。
コンピュータを利用して、何か始めてみようか。


シリコンバレーの台頭が1990年代であるから、1983年と言えば、「ベンチャー」という言葉が世に知られる遥か以前の頃。
友人2人を誘っての起業を思い立つ。


今でも田野の両輪として活躍する2人は、当時、共に区役所務めをしていた。
志を持って就職したものの、現実の壁が立ちふさがっていたということであろうか。
2人は、田野の誘いにすぐさま応じる。
たまたま1人が、大学で電気を学んでいた。
コア技術は自ずと決まってくる。


こうして、
堅実な生活を捨ててでも自己実現をめざす道を選びたい!
という「真っ直ぐな気持ち」と、
好きなことをひたすら突き詰めていきたい!
という「未来よりは今」を選べるほどには若い3人によって、データ・テックは1983年に産声をあげるのである。


積み上げた技術を製品化する!


初めは赤坂に会社を設立したが、その後拠点を、大田区に置くことにした。
周りは、ロボットや一品モノに取り組む、気骨ある中小の機械屋さんばかり。
当時、田野たちが得意としていたのは電気的制御。この分野を部分的に引き受けるような企業が、ほとんどなかったためか、データ・テックの技術は口コミで伝わっていく。
案件には困らなかった。


自分たちの実力も理解しないまま、かなりの労力とコストを要することを「できます」と言って引き受けてしまうこともあった日々。
利益はあまりなかったが、難しいことを考えることが快感であった。
困難であればあるだけ、達成感は強く、深くなる。
時はバブル景気に突入していたが、お金になる仕事には見向きもせず、ひたすら自分たちの技術を高めていく、という方向に向かい、突っ走っていった。


こうして大企業や周辺企業の下請け仕事に徹し、腕を磨いて10年。
そろそろ自分たちのやってきたことを商品化しようか、という話が浮上する。
他社に負けない、オリジナルの技術って何だ?
それはやっぱり、ジャイロ(カーナビ等で使われる、回転の角速度を計るセンサ)だろう!
この技術を利用して、「小さくてトータルなモノ」を何か提案できないだろうか。


モデルを作り、プレゼンテーションする日々が始まる。
自動車メーカーを中心に、コネもないまま無謀な売り込みをかける。
名も無き技術者たちに、思いのほか、大手メーカーは鷹揚(おうよう)であった。
技術への興味だったのか、その情熱にほだされたのか。
とにもかくにもいろいろな企業が会ってくれ、製品化に向けて様々なアイデアを提供してくれた。
その中の一つに、大手ゲーム会社、株式会社セガがあった。


当時セガは、「世界初のバーチャルリアリティが体験できるゲームの開発」に着手していた。
特殊なゴーグルを用いると、一人ひとりの目の前に、どの方向を向いてもリアルな3Dの画像が現れる。
その実現化に、データ・テックのモデルはピタッとはまっていた。
セガは興味を示し、面白いと乗り気になる。
製品化に向け、トントン拍子に話は進んでいった。


ところが。
セガの要求に応じるためには、小型化をはじめとする様々な開発・改良が必要であった。
培った技術でプレゼンテーションやデモンストレーションを行うのと、実際の製品づくりとではまるで違う。
1センチ角ほどの製品を完成させるのに、約1年半の歳月をかけた。バーチャルリアリティセンサー(VRセンサー)の誕生である。難産であった。
しかも、当初は「7,000個は売れるハズ」であったが、思惑は見事にハズれてしまう。


それでも、うれしかった。
「データ・テック」と刻印された小さな製品が、顧客とエンドユーザーにとっては「夢の装置」に組み込まれている。
このゲームに熱狂した人たちの誰一人知らなくても、その実現に一役買っているという事実は、天にも昇る心地であった。


これまでは、「モノを作り」「考えて」きた。それ自体が大好きなことであった。
技術の製品化によって、ここに、「売る」という要素が加わる。
田野にとっては、これがまた、たとえようのないくらい楽しいことであった。
商品にするとは、タイヘンな労力を要することである。
しかも、時間がかかる。つまり、すぐにはお金にならない。
それでも、自社開発は魅力的であった。深い喜びがある。
まだ、相手先ブランドで売るOEMではあるが、データ・テックは、メーカーへの道を歩み出したのであった。


03-1vr.jpg

<写真:VRセンサ/人の動きを三次元的に計測できる角度センサ>


セガの開発秘話はコチラ

http://www.sega-mechatro.com/mtv/pm/pm16.html
〈後編に続く〉


2008年08月11(月)